脱・成長神話 武田晴人

1960年以降GDPの成長が続く一方、生活満足度はあがっていない

日本以外の先進国も同様

アダムスミスやJSミルは、所得の増大がいずれ意味をなさなくなる(成長が幸福につながらなくなる閾値がある)と予測していた

ベンサムの)最大多数の最大幸福、の解決策が以前は経済成長だった。

ケインズは、景気の振幅を抑制するため財政金融政策の裁量的活用を主張した(予測可能性を改善させる)が、いずれは、生産性が上昇した分だけ労働時間を短くして人生を豊かにするようになると考えていた。

 

収益性のみでは経営評価の指標として不十分。資源の節約も考慮すべき。

より望ましい社会へ貢献するという範囲内でのみ、企業の収益性の追求が受け入れられるに過ぎない。

効率性の追求が、利益の追求と同義になってしまっている。効率とは、資源の最適な配分でありそれは有限な資源を含むものである。

 

中国、インド、インドネシア、ブラジルといった人口の多い国(合計40億人くらい)の一人当たりGDPが1万ドルに達するために必要な自然界の資源量は118億人分といわれている。

経済のゼロ成長を前提としたライフスタイルを模索するべき。

 

飢餓の懸念を克服するため(最大多数の最大幸福を実現するため)経済成長に注力

景気の振幅が大きく失業の懸念が強まった。これを抑制するため、ケインズ政策で安定成長を図る

非効率な企業まで退出を迫られることなく生き延びてしまう、ヒトモノかねの動きが停滞してしまった(市場の働きが弱まった)

市場の働きを回復させて経済成長率を引き上げたいと考え、株主の監視、に注目。投資家に力をあたえる、という主張が1970年以降のアメリカで進んだ

結果、再度金融市場の大きな振幅を引き起こした。1987年以降10年おきに恐慌が起きている。

効率性の追求を、利益の追求と同義と誤解した市場の暴走が根底にある。

別の角度からの効率性を考え直して、最大多数の最大幸福を実現するべき。