藤原道長の日常生活 倉本一宏

平安貴族の政務や儀式は質量ともに激烈なものだった。めったに休日もなく、政務は深夜まで続いた。

現代のようにさまざまな職種・職業のない時代、中央官人社会においての栄達だけが、子孫を存続させる唯一の方法だった。

当時は、儀式を先例通りに執り行うことが最大の政治の眼目だった。

最も重要な政務は人事(除目の儀)。序列を超えられることは、重大な出来事だった。

 

地震、疫病、天災のほかにも、迷信や禁忌、物忌み、ショクエ(触穢)などに極度におののき、密教の加持祈祷や陰陽道にすがって生活していたというイメージは定着しているように見える。しかし人間は与えられた歴史条件の下でしか生きることはできない。かれらはさまざまな不可思議な現象にたいして、精いっぱいの冷静さでもって、科学的に対処していた。

 

道長も、複雑な多面性をもった、小心と大胆、繊細と磊落(らいらく)、親切と冷淡、寛容と残忍、協調と独断、人間であった。

これらは、摂関機という時代、また日本という国、人間自体が普遍的にもつ矛盾と多面性を、あれほどの権力者であったからこそ、一身で体現したが故であろうと考えられる。