キッシンジャー回想録 中国 ヘンリーキッシンジャー
儒教的考え。
個人的救済へと向かうものではなく、個人の正しい行動を通じた国家の救済を目的としていた。
個人の来世への道ではなく、現世の社会に向けて、社会的行動の規範を確認するもの。
軍事的思想とは区別され、心理的、政治的要素に重点が置かれている。戦わずしてかつ。
歴史のとらえ方:
西欧は、近代化のプロセスととらえる。後進性に対する一連の勝利。
中国の歴史観は、崩壊と再生の輪廻を強調する。
中国は、巨大な国力を活かして周辺国を権威の傘下には収めたが、他国を改宗させたり、文化的押しつけもなく、世界で最も豊かな国でありながら、貿易や技術革新に無関心だった。
西欧で大航海時代の始まりが起きていることも政治的エリートたちは見過ごしていた。まもなく自国を脅かすことになる技術的、歴史的潮流にも気が付かない。
比肩するもののない、広大な地理的広がりを持つ政治的単位という特異な帝国として近代を迎えざるを得なかった。
毛沢東の出現 1949年
反儒教主義者として古い秩序を破壊するために中国を粉々に破壊し、大衆のエネルギーを爆発させ昇華させることを考えた。
儒教的秩序が中国を弱体化させたと考え、革命のプロセスそのものを維持することが目的だった。
台湾危機 1954年
大陸から退却した蒋介石の国民党が、大陸に近い岩島の金門島、馬祖島をまだ占領していた。
大躍進 ー 百家争鳴
中国共産党が自らの運営に対し、意見と批判を求め、知識人や芸術家に自由に話をさせる、百家斎放、百家争鳴。階級闘争をおあるものだった。
毛沢東は、当初の意図はともかく、自らの権威にたいする挑戦を長くは我慢することはせず、急転換を行い、大規模な粛清を行った。何千人もの知識人が投獄され、再教育され、国内追放された。
この大躍進で、1959-1962には、人類史上最悪の飢饉がもたらされ、2000万人以上が死亡した。
紅江兵(こうえいへい):イデオロギー的熱狂で結びついた武装集団
毛沢東は、紅衛兵を使い、四旧(古い慣習う、古い思想、古い文化、古い風俗)を撲滅させるよう仕掛けた。
鄧小平
共産主義には似つかわしくない経済成長(二律背反)をもたらした。
鄧小平は、毛沢東が文化大革命を発動してまもなく、党と政府の役職を解かれ、地方に幽閉されていた。家族は、イデオロギー的に堕落しているとみなされ、長男は紅衛兵に拷問され、半身不随となった。
毛沢東が、周恩来を切ろうと考えた時、中国のかじ取りができる人間は鄧小平しかいなかった。(周は、毛に忠実でありつづけたが、文革のブレーキ役をになっていたナンバー2と言いわれた林彪(林彪)失脚、その後体調を壊していった)。
鄧小平はイデオロギー的締め付けをやめた。毛沢東があらゆる問題の解答を提示していた10年がおわり、自分の頭で考えることが推奨された。
しかし中国は民主化するには大きすぎ、無政府状態に陥ることを危惧し、共産党一党独裁は維持された。
大胆な改革は、政治的社会的軋轢をもたらし、1989年の天安門事件として爆発した。
鄧小平はそれでも、毛沢東の残した遺産を飼いならし、作り変えることによって改革を実行していった。