日本開国 渡辺惣樹

1853年ペリー来航、翌年大艦隊を率いて浦賀に再来航し、日米和親条約を結ぶ。

 

その2年後、タウンゼント・ハリスが来日したときは、通訳がついただけで護衛兵士もおらず、孤独に通商条約締結を進めていった。

 

著者の問題意識はこの差にあった。

 

アメリカからみると、もっとも市場として大きい魅力のある中国との通商が最大の目的で、イギリスとの通商戦争に勝つための貿易ルートとして大平洋横断ハイウェイが必須。

 

日本の開国は、太平洋ハイウェイを確保するためのプロセスにすぎなかった。日本との通商にはそもそも興味がなかった。

アメリカ国内世論をまとめるため、捕鯨船の安全確保を訴えたが、これも口実にすぎない。

 

その筋書きをつくったのが、法律家アーロンパーマー

 

テキサス、カリフォルニアと西部領土を獲得し、太平洋岸までたどりついたアメリカは、本格的に中国へむけた大平洋ルートに乗り出す。

 

アメリカ人エリートの心の奥底には、日本に対しては開国させてやったという貸しがあり、中国にはアヘン密売(公表されていないが、米系貿易商社ラッセル商会は世界最大のドラッグディーラーで中国でのアヘン密売で稼いだ)の借りがある。

両方とも日本の国益にはマイナス。