自由と秩序 猪木武徳
自由の思想が本来的にもつ問題が、二極化、大量失業、その反動の社会主義経済、歴史的には戦争などを生じさせた背景にある。
20世紀、多くの国で、民主制と、市場経済システムを通じて、自由と平等を追い求めたが、本来的に抱え持つ問題が顕在化した。
リベラルデモクラシーの存立にとって不可欠な条件は、意見をことにするものが共存する知恵をもっているかどうかということ。
自分とことなる意見を尊重し、それと共存するという矛盾に満ちたリベラルデモクラシーの本旨は、もともと自然にはんするものだった。だからその定着と維持は、意識的努力が不可欠となる。
Agree to disagree: 意見が一致いないことに同意する、敵と共存する、という矛盾に満ちた精神的態度を表現したもの。
共存への意志を示す必要のある民主制では、少数者を尊重するという決意を極端にまで発揮した寛容の政治思想。
民主制は、利己心の無制約な発言、私的生活への没頭、公的な事柄への無関心に支配されやすい。この行き過ぎにブレーキがかからな限り、民主制はよい社会をつくれない。このことは、市場経済についてもそのままあてはまる。
トクヴィルは、アメリカの民主政は、多数の横暴によって公共の利益が損なわれることを防ぐためのシステムが用意されているという、地方自治の強化、陪審員制度、政治結社、宗教への関心など。
経済学に何ができるか 猪木武徳
人間は両立し得ない2つの欲求を同時に満たそうとすることがある。自由と平等のように。
この矛盾をうけいれたことを忘れがちで、かつ、忘れたことすら忘れている。
賢い人は、自分の中にいる、偏りのない観察者(inpartial spectator) にしたがって、公正で醒めた判断と行動ができる人間。弱い人は、世間からの称賛を求め、野心と虚栄心に突き動かされてしまう。
アダム・スミスは、この弱い人たちが他人から賞賛をうけたいと考えてきたからこそ、そのエネルギーによって経済社会はより多くの富を創造できたという。そしてその人間の弱さによって生じた富とエネルギーを、知性、賢明な判断力でコントロールすることが課題。
ところが経済学は、便宜的に人間性を限定して考え、モデル化する。合理的な計算のできる個人が契約をかわして社会を成立させたという前提でモデル分析をする。ルソーの社会契約説に基礎を持つ。
モデル分析は現実の経済社会を予想できない。外れたときに、なぜかという問いがうまれ、良質な理論ほどそのなぜかという問が本質的なものとなる。
消費の外部性
個人の自由と思われる消費行動にも心の行儀としての倫理が存在する。衝動買いして購入物を後に放置するような無駄、消費すべきときに出し渋る吝嗇(りんしょく)など。公害は、負の外部性の典型的な例。
次世代にどのような自然環境と社会環境を引き渡すかという持続可能性、世代間の公平性をかんがえて行動するべき。
交換の正義:資本主義は、市場取引の交換の正義を最優先するシステム。
分配の正義:結果の平等。交換の正義の行き過ぎを補正するためのシステム。
トマスアクぃナスは、分配の正義が社会の基本部分を構成し、そのうえで個々の私的な取引において交換の正義の概念をもつべきと主張。
経済学がもつ正義:
人間が矛盾した要素を同時に満たそうとする二重思考であるため一元的な原理で問題解決できない。
折衷的にならざるを得ない。
経済理論が現実に合わないこともある、その際、理論の仮定と前提に立ち返り考え直す必要がある。
資本主義の新しい形 諸富徹
ロバートゴードン氏(米エコノミスト):
1970年以降成長率一貫して低下。その理由は、一回限りの大変化が産業に与える影響が減退したため。ゼロから自動車やエアコン、携帯、スマホが登場した時のインパクトは、それらが改良される事による成長力よりも大きい。今まで世の中になかったものが登場して強い影響を与えるのは一回限り。
日本企業全体のBS:
1800兆円の総資産、純資産740兆円(2017時点)
2013はそれぞれ1300兆円と340兆円
内部留保は現金と有価証券の増加に使われている。
設備投資や無形資産取得は増えていない。
つまり、経済成長率低いので投資しない、投資しないから成長率低い。
財政負担大きすぎ。社会的投資国家を目指し、強い個人を創出すべき。
恩恵として分配するのでなく、人的投資。
非物資主義的展開を図るべき
財閥の時代 武田晴人
財閥の特徴:封鎖的所有と多角的事業経営体
総有制:所有者は配当は得られるが、株式の処分は認められない。次の世代に営業資産を拡大して引き継ぐ義務をもつ。
三菱は西南戦争と台湾出兵の軍事輸送で海運事業を急速に伸ばした
三菱一辺倒に批判が出たため、政府主導で共同運輸設立。海運は一気に価格競争となった。
国が戦時体制に入ったとき自前の海運をもたないことのリスクを考慮し、三菱と共同運輸が合併し、日本郵船が設立された。
三菱は主業だった海運を手放し、大株主としてのみ名前だけが残った。
このため経営の多角化がすすんだ。
三井は、芝浦製作所の成長が早すぎ、外部からの資金を投入せざるを得ず、持ち分が低下していった。のちの東芝
財閥解体:
アメリカは、急成長した日本経済を1930年ころの軽工業と農業主体の経済レベルに落とすことを画策していたが、日本の技術はアメリカから見ても利用価値があったこと、厳格な改革を行って却って日本人の反感を招き改革がとん挫することを懸念し、親米的な勢力を助長する方針へと舵をきった。
予定されていた賠償の金額が大幅に削減されたのも同様の理由
日本人の経済観念 武田晴人
欧米を普遍的価値として、日本を分析するという社会科学社への異議申し立て。
相対化した分析を試みる。
三井の大元方(おおもとかた)制度
同族の共同出資形態。持分に相当する財産分割や処分は、永代にわたっって認められなかった。
個人の利益・権利よりも、企業・組織を存続させる。
(分割をくりかえし小規模経営に転落し競争力を失うことを避けるため、相続も単独相続とした。たわけもの、の語源。)
これを、総有という。個人の所有権と相対する概念。
同族は、専門経営者に介入せず、合議により意見を反映させるだけ。
結果として、アメリカ式の経営者資本主義と同様。
日本の場合、過当競争の弊害を排除するため、共存共栄のため、協調と話し合いが重視された。
日本の伝統的な話し合いによる決定方式は、民主主義の多数決原理とは異なり、勢力や支配力に応じた発言力が作用している
高度成長 武田晴人
日本の独立は、アメリカの対アジア・太平洋地域の戦略の一環として成し遂げられた
もの。中国脅威論(米国)から、日華平和条約を結んだ相手は国民政府(台湾)だった。
高度成長の成長率目標は5%。生産性改善による失業を吸収するほどの成長としてはこのレベルが必要だった。
50年代前半:消費を抑制して投資を拡大させる政策スタンス
58-62年の5か年計画は、国民生活の質的向上を目指すものへと転換した
1950年代の景気の振幅は外貨準備の少なさからおこるものだった。朝鮮戦争特需で外貨を稼いだが、その後内需が強く経常収支赤字となると、投資削減、景気悪化となった。
これをあらかじめ抑制するため輸入を拡大させない、手段としての景気後退という策をとった
ストップアンドゴー政策といわれたゆえん(外貨がストップ、ゴーが設備投資)
流通革命:メーカーが流通網を系列化組織化し、顧客との接点をメーカー自身が構築する動き。
また小売業では、独自の仕入れルートを開拓した格安スーパーなどの出現もあった
1964年 東京オリンピック 国家予算の3分の1に上る金額(1兆円)が、施設建設、関連工事に費やされた。
1967年 資本取引の自由化基本方針:
外国企業が国内企業の株式を取得することに対する制限の撤去、合弁企業設立の際49%を超えて外国資本が株式所有できないという規制も緩和
1970年代の経営者資本主義
日本は相互持ち合いによって経営者の自律性を確保
米国は、株式所有の分散によってそれが確保されていた。
71年:二つのニクソンショック
中国訪問 中国孤立化政策の変更
変動相場制への移行(変動幅を拡大したスミソニアン協定は数年で終結)
74年 オイルショック
インフレ克服が最重要課題となる
総需要抑制策をはかり、公定歩合は9%まで引き上げられ(2%アップ)、74年の実質経済成長率はマイナスとなった。
この変動相場制への移行と、原材料価格高騰に対応した、減量経営の企業の自主的な経営力がその後の成長をもたらした。
85年 日米貿易摩擦
前川レポート:(中曽根首相の私的諮問機関の前川氏)内需拡大と規制緩和
アメリカへの市場開放、国民1人当たり100ドルずつ外国製品を多く買ってほしいとの呼びかけ
諸外国は、オイルショックのインフレ抑制のため長期に高金利を維持。成長率は低下し失業率高止まり。米国金利は大戦以降最高の14%の公定歩合。
こうしたなか日本に対して欧米諸国から輸出依存度を下げ内需拡大し、世界経済の先頭に立つことがもとめられた
円高対策として財政支出、金融緩和が推進され、膨大な余剰資金を抱えた企業が増加したにも関わらず、政府は、日米関係緊張を避けるため、内需拡大政策を維持し、投機的な価格上昇に懸念があっても金融引き締めをしなかった。そのためバブル経済へ
当初、雇用と失業の不安を解決する手段としての経済成長が自己目的化し、バブルへと突き進んだ
仕事と日本人 武田晴人
新自由主義:豊かさ追及のため何よりも経済成長が必要という考え方
市場原理主義、市場至上主義
自由と労働は対局の概念として定着した。
古くはギリシャ時代の奴隷制のもとで労働は人間活動の基本的な要素としてはとらえられなかった。また、キリスト教の教義の禁欲的生活からも生存を支えるためだけえの課業に価値がみいだされなかった。原罪に結びついたもので、原罪のゆえに行われなければならない課業とみなされていた。
だからこそ、プロテスタントの教養が現生的な利益の追求を、神の教えに反するものではないとしとことは新鮮な刺激だった。マックスウェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義精神が、近代資本主義の聰明期のきっかけとなった。
その後近代の労働観は、主体性の喪失、労働疎外へとすすみ、マルクス経済学の批判を受ける。
株主の利益を重視する企業経営においては、労働は人手すなわしコストとしか労働者をみていない、これがむしろ肯定的に理解されている。
経済学は市場での取引に関心を集中させすぎているため、現場の解明の努力を怠ってきた。
各人がそれぞれの持ち場を誇りと自己規律と責任をもって担当できる独立した人格となること、互いを認め合い、才能の差個性の差を相互に助けあう出発点となる。
過剰消費と過剰労働の見直しによって、働き方をかえて(金だけに依存しない)、主体的な選択のできる強い個人を作り出す必要がる。
その方向の実現を阻んでいるのが株主の利益の優先という営利企業中心の考え方。